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東京帝国大学航空研究所の歴史と変遷

東京帝国大学航空研究所の歴史と変遷
東京帝国大学航空研究所の設立背景、研究活動、戦後の改組、そして現在の先端科学技術研究センターに至るまでの歴史を解説します。

📌 主なポイント

  • 1918年に東京帝国大学航空学調査委員会を母体として設立された。
  • 1930年に目黒町駒場(現在の駒場IIキャンパス)へ移転した。
  • 戦後の航空禁止令により一時的に理工学研究所へ改組された。
  • 現在の東京大学先端科学技術研究センターの源流の一つである。

東京帝国大学航空研究所は、かつて東京帝国大学(現東京大学)に設置されていた航空機の基礎学理に関する研究機関です。日本の航空技術の発展を目指し、大正時代に創設されました。

設立の背景

1910年代、日本における航空技術研究は軍民ともに立ち遅れていました。当時の機械工学科では蒸気機関の研究が中心であり、内燃機関や流体力学における飛行翼の研究体制は極めて貧弱でした。この状況を打破し、独立した研究機関を構築する必要性が高まったことで、本研究所の設立に至りました。

1935年頃の東京帝国大学航空研究所
1935年頃の東京帝国大学航空研究所

沿革

1918年(大正7年)4月1日、東京帝国大学航空学調査委員会が改組される形で航空研究所が発足しました。同年7月には東京市深川区越中島へ移転し、1920年9月から研究活動を開始しました。その後、1923年の関東大震災を経て、1930年に現在の東京大学駒場IIキャンパスにあたる目黒町駒場へ移転しました。

昭和天皇の航空研究所臨幸(1931年)
昭和天皇の航空研究所臨幸(1931年)

研究体制と成果

研究所内には物理部、化学部、冶金部、材料部、風洞部、発動機部、飛行機部、測器部、航空心理部などが設置され、多角的な研究が行われました。研究成果は『航空研究所報告』や『航空研究所彙報』を通じて発表されました。また、設計・製作を主眼とする軍の航空廠とは異なり、学術的な基礎研究に重点を置いていた点が特徴です。

航研機
航研機

戦後の改組と現在

第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の航空禁止令により航空技術研究は停止を余儀なくされました。1946年3月には理工学研究所として再編されましたが、サンフランシスコ講和条約締結後の1958年に航空研究所として復活しました。その後、1964年には宇宙航空研究所へ改組され、1981年には宇宙科学研究所と工学部附属境界領域研究施設に分割されました。1987年、境界領域研究施設を母体として先端科学技術研究センターが設立され、現在に至ります。

先端科学技術研究センター13号館(旧航空研究所本館)
先端科学技術研究センター13号館(旧航空研究所本館)

よくある質問

東京帝国大学航空研究所はいつ設立されましたか?
1918年(大正7年)4月1日に設立されました。
研究所は現在どうなっていますか?
戦後の改組を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センターなどの学際的な研究拠点となっています。
軍の航空廠とは何が違いましたか?
軍の施設が航空機の設計・製作を主眼としていたのに対し、航空研究所は航空機の基礎学理に関する学術的な研究を主目的としていました。

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参考文献

  • 富塚清『航研機―世界記録樹立への軌跡』三樹書房
  • 栖原豊太郎「日本における航空学研究の初期と航空研究所および航空学教室創設のころの回顧」『日本機械学会誌』第64巻第504号、1961年
  • 東京大学先端科学技術研究センター「東京大学 先端科学技術研究センター30周年記念サイト」