東京乗合自動車の歴史と概要:青バスから都営バスへの系譜

📌 主なポイント
- ✓1918年(大正7年)に東京市街自動車として設立され、1919年3月1日から東京市で最初のバス営業運行を開始した。
- ✓深緑色の車体塗装から「青バス」の愛称で親しまれ、日本で初めて女性車掌(白襟嬢)を乗務させた。
- ✓昭和金融恐慌に伴う東京渡辺銀行の破綻を背景に経営が悪化し、最終的に戦時統合によって東京市営(都営バス)に吸収された。
東京乗合自動車(とうきょうのりあいじどうしゃ)は、かつて日本に存在したバス運行会社である。設立当初の社名は東京市街自動車であり、1918年(大正7年)に営業認可を受け、1919年(大正8年)3月1日から東京市で最初となるバスの営業運行を開始した企業とされる。深緑色を基調とした車体塗装から「青バス」の愛称で親しまれ、のちの都営バスやはとバスのルーツの一つとなった。
設立の背景
明治末期から大正期にかけて、日本の主要都市では乗合自動車の開業が相次いでいた。しかし東京市内では、東京鉄道が運営する路面電車(のちの東京市電気局)が主要な交通機関を担っており、東京市は交通機関の一元運営を主張していた。こうした中、甲州財閥の実業家や東京渡辺銀行を経営する渡辺家などの資本と、報知新聞の経済記者であった堀内良平を中心として会社設立の動きが具体化した。
また、当時の陸軍による軍用自動車保護政策(軍用自動車補助法)の制定も、民間における自動車事業の設立を後押しする大きな要因となった。発起人らは海外からの車両調達における困難を乗り越え、アメリカ製のトラックシャシーやイギリス製のウーズレー車などを確保して営業準備を進めた。
沿革と事業展開
1918年(大正7年)10月1日に創立総会が開催され、資本金1,000万円で発足した。1919年3月1日より、新橋〜上野間(約5.5km)で乗合バスの運行を開始した。営業初日には多数の乗客を運び、順調な滑り出しを見せた。
主な特徴と取り組み
日本初の女性車掌の採用:運行開始当初は少年車掌を乗務させていたが、運賃の隠匿などの問題から女性車掌の採用に踏み切った。三越製の白襟の洋服とベレー帽を着用した姿は「白襟嬢」と呼ばれ、大きな評判を呼んだ。
遊覧バス事業の展開:東京市内の遊覧バス事業を手がけ、これが現在のはとバスの源流となった。
関東大震災の影響と経営の変遷
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では大きな被害を受けたが、市電が壊滅的な打撃を受けたことで代替交通機関として急遽需要が急増し、営業成績は一時的に大きく好転した。その後、1922年(大正11年)6月に社名を「東京乗合自動車」へ改称している。
しかし、昭和金融恐慌の引き金となった東京渡辺銀行の破綻に伴い、1928年(昭和3年)に社債がデフォルトを起こすなど経営が混乱した。最終的には根津嘉一郎が実質的オーナーであった東京地下鉄道の傘下に入り、戦時統合の流れの中で東京市営(現在の都営バス)に吸収されてその歴史を幕間とした。
よくある質問
東京乗合自動車の愛称は何ですか?
運行開始はいつですか?
女性車掌はどのような服装でしたか?
会社が消滅した経緯は何ですか?
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参考文献
- 東京都交通局 『都バスの90年史』 2007年。
- 企業破綻と金融破綻研究会 『企業破綻と金融破綻』 2002年。
- はとバス 『はとバス三十五年史』 1986年。