東京教育大学の歴史と概要

📌 主なポイント
- ✓1949年に設置され、1978年に閉学した国立大学である。
- ✓東京高等師範学校、東京文理科大学などを母体として設立された。
- ✓ノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎が学長を務めた。
- ✓閉学に伴い、その機能と施設は筑波大学へ継承された。
東京教育大学(とうきょうきょういくだいがく、英語: Tokyo University of Education)は、かつて東京都文京区大塚に本部を置いていた日本の国立大学です。1949年に設置され、1978年に閉学しました。名称に「教育」を冠していますが、文学部、理学部、教育学部、農学部、体育学部の5学部からなる総合大学として運営されていました。
沿革と設立
東京教育大学は、東京高等師範学校を母体として設立されました。1949年5月31日、東京文理科大学、東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校の4校を包括する形で新制大学として開学しました。設立の経緯から、教員養成を主目的の一つとしていましたが、研究者や公務員、民間企業へ進む学生も多く、多様な人材を輩出しました。
筑波大学への移行
1970年代に入り、大学の筑波移転計画が持ち上がると、学内では激しい反対運動が発生しました。1969年には一部学部の入学試験が中止されるなど、長期にわたる混乱が生じました。その後、1973年10月に筑波大学が開学し、東京教育大学は段階的に募集を停止しました。移行期間中は両大学が並存し、東京教育大学に入学した学生は、筑波大学へ転校することなく東京教育大学の学生として卒業する措置がとられました。1978年3月31日をもって東京教育大学は閉学し、その校地や附属施設は筑波大学へ完全に移管されました。
歴代学長
歴代の学長には、日本の科学史において重要な人物も名を連ねています。特にノーベル物理学賞受賞者である朝永振一郎が学長を務めた期間(1956年 - 1962年)は、同大学の「黄金時代」と称されることがあります。
校章
校章には「五三の桐」が用いられていました。これは東京高等師範学校時代に制定されたもので、皇室の御紋章である五七の桐章に由来します。この伝統は、閉学後も筑波大学のシンボルマーク等に受け継がれています。