遠山茂樹:日本近代史研究と昭和史論争
📌 主なポイント
- ✓1914年、東京市京橋区(現東京都中央区)生まれ。
- ✓唯物史観の立場から日本近代史を研究し、歴史学研究会の運営にも深く関与した。
- ✓1955年刊行の共著『昭和史』は戦後の歴史学界に大きな影響を与え、昭和史論争の発端となった。
- ✓横浜開港資料館の初代館長を務めた。
遠山茂樹(1914年 - 2011年)は、日本の歴史学者。日本近代史、明治維新史、東アジア史、および歴史教育の分野で多大な業績を残した。東京帝国大学を卒業後、文部省維新史料編纂事務局や東京大学史料編纂所を経て、横浜市立大学や専修大学で教鞭をとった。
学問的背景と業績
学生時代に羽仁五郎に傾倒し、服部之総に師事した遠山は、唯物史観の立場から日本近代史を再構成する試みを行った。歴史学研究会の編集長や委員長を歴任し、戦後の歴史学界における中心的な役割を担った。また、福沢諭吉の「脱亜論」を日本帝国主義のアジア侵略論として位置づけるなど、鋭い史料分析で知られた。
『昭和史』と昭和史論争
1955年に岩波新書から刊行された『昭和史』(遠山茂樹、藤原彰、今井清一の共著)は、戦後日本における一大ベストセラーとなった。本書は、国民が戦争に巻き込まれた過程を政治・外交・経済の動きと関連づけて分析することを目的としていた。
しかし、本書の記述や歴史認識を巡り、亀井勝一郎や松田道雄らとの間で「昭和史論争」が巻き起こった。主な論点には、歴史叙述における「実感」と「客観的分析」の乖離、歴史における「人間」の描き方、そして個人的体験を歴史認識にどう位置づけるかという問題が含まれていた。遠山は、歴史学の使命は個人の心理描写ではなく、史料に基づいた科学的な歴史像の再構成にあると反論し、唯物史観に基づいた理性的な歴史認識の重要性を主張した。
晩年と遺産
遠山は1979年に横浜市立大学を定年退官後、専修大学で教授を務めたほか、横浜開港資料館の初代館長としても活動した。2011年に97歳で死去。その学問的軌跡は、没後に開催されたシンポジウム「遠山史学と歴史学の現在」などで多角的に検証されている。横浜市立大学学術情報センターには、約4,000点に及ぶ「遠山茂樹文書」が所蔵されている。
よくある質問
遠山茂樹の主な研究分野は何ですか?
昭和史論争とはどのようなものですか?
遠山茂樹の著作にはどのようなものがありますか?
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参考文献
- 遠山茂樹『遠山茂樹著作集 第9巻 歴史学の課題と現代』岩波書店、1992年。
- 遠山茂樹・藤原彰・今井清一『昭和史(旧版)』岩波新書、1955年。
- 大門正克『昭和史論争を問う ―歴史を叙述することの可能性』日本経済評論社、2006年。
- トリスタン・ブルネ「マルクス主義とアイロニー 遠山茂樹における『昭和史』の叙述」国際交流基金、2014年。