トレイル溶鉱所事件の仲裁裁判と法的影響
📌 主なポイント
- ✓1935年8月3日に両国間でオタワ条約(仲裁協定)が締結された。
- ✓1938年の中間判決で、1932年から1937年の森林損害に対し7万8000ドルの賠償が命じられた。
- ✓1941年の最終判決で、国家には他国に環境損害を与えないように自国領土の利用を管理する国際法上の義務があると示された。
トレイル溶鉱所事件は、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の亜鉛・鉛製錬所から排出された亜硫酸ガスが、国境を越えてアメリカ合衆国ワシントン州の農林業等に深刻な被害をもたらした越境環境紛争である。本件は国際環境法における重大な先例となった。
仲裁裁判の開始
1935年8月3日、アメリカ合衆国とカナダの両国は、本件の解決に向けた仲裁協定(オタワ条約)を締結し、仲裁裁判によって問題を解決することに合意した。この仲裁協定の第3条には、以下の4つの付託事項が定められた。
- 1932年1月1日以降もトレイル溶鉱所はワシントン州に損害を引き起こしているか、およびその場合の賠償額はいくらか。
- 上記の回答が肯定的な場合、トレイル溶鉱所は将来の損害発生を抑止するよう要請されるか、またそれはどの程度か。
- トレイル溶鉱所は具体的にどのような措置を取るべきか。
- 将来の抑止措置に関する判決に対する賠償額はいくらか。
また、同協定第4条では、裁判の準拠法として「国際法ならびに国際慣行およびアメリカ合衆国において同種の問題を処理する際に採用されている法と慣行」に従うことが明記された。
中間判決
1938年4月16日、仲裁裁判所は中間判決を下した。この判決において、裁判所は1932年1月1日から1937年1月1日までの期間における森林への損害を認め、カナダに対して7万8000ドルの賠償金支払いを命じた。一方で、アメリカ合衆国が主張した「主権の侵害」に基づく損害賠償は否定され、経済的損害についても不確定であるとして認められなかった。
将来の損害抑止に関しては、溶鉱所に義務があるとしつつも、コロンビア渓谷の気象条件やばい煙に関するデータが不足しているとして恒久的な体制についての判断は保留され、十分な情報を得るまでの間は暫定的な体制を確立すべきとした。
最終判決と法的原則
1941年3月11日に下された最終判決において、裁判所は、アメリカ合衆国が1937年10月から1940年10月までの期間に発生した損害を明確に立証できていないとして、この期間の追加賠償請求は棄却した。
しかし、本判決の核心となったのは以下の原則の提示である。すなわち、ばい煙による損害が重大な結果を伴い、かつ明白で説得力のある証拠によって立証される場合、いかなる国家も、自国の領土内で他国の領土やその財産・人に対して損害を与えるような方法で自国領土を使用させる権利を有しないという点である。これにより、カナダはトレイル溶鉱所の行為に対して国際法上の責任を負い、その活動を監視・統制することは同国政府の義務であると示された。