日本の演劇史

築地小劇場:日本近代演劇の実験的拠点

築地小劇場:日本近代演劇の実験的拠点
1924年に土方与志と小山内薫によって設立された築地小劇場は、日本における新劇運動の先駆けとなった実験的な常設劇場です。その歴史、役割、そして終焉までを解説します。

📌 主なポイント

  • 1924年6月13日に土方与志と小山内薫によって設立された。
  • 日本で初めて電気照明室やクッペル・ホリゾントを備えた実験的な劇場であった。
  • 1945年3月10日の東京大空襲により焼失した。

築地小劇場は、1924年(大正13年)6月13日に土方与志と小山内薫によって東京府東京市京橋区築地(現在の東京都中央区築地)に開設された、日本における新劇運動の象徴的な常設劇場です。単なる興行の場にとどまらず、新しい演劇の創造と俳優育成を目的とした実験室としての役割を果たしました。

当時の築地小劇場
当時の築地小劇場

設立の背景と特徴

1923年(大正12年)の関東大震災後、ドイツ留学から帰国した土方与志が、震災復興に伴う建築規制の緩和を利用して仮設の劇場建設を構想しました。小山内薫との協力により、わずか半年で完成に至りました。

劇場は平屋建てで、客席数は400から500席。当時としては画期的な電気照明室や、ドーム型の湾曲壁である「クッペル・ホリゾント」を備え、高度な舞台演出を可能にしました。正面外壁には、土方久功がデザインした「一房の葡萄」のマークが掲げられました。

設立時の築地小劇場同人
設立時の築地小劇場同人。左から和田精、汐見洋、浅利鶴雄、友田恭助、小山内薫、土方与志

演劇運動の展開と分裂

開場公演では、ラインハルト・ゲーリングの『海戦』などが上演され、翻訳劇を中心とした新しい演劇の紹介が行われました。しかし、1928年の小山内の急逝後、劇団内部で土方与志を排除する動きが強まり、1929年に土方や丸山定夫らが脱退して「新築地劇団」を結成しました。その後、劇場は新築地劇団や新協劇団といったプロレタリア演劇運動の拠点として機能しました。

劇場の終焉

1939年には「株式会社築地小劇場」として法人化され、山口文象の設計による大規模な改築が行われました。しかし、1940年8月、治安維持法下の弾圧により主要劇団員が大量検挙され、両劇団は解散を余儀なくされました。その後、「国民新劇場」と改称され文学座などが使用しましたが、1945年3月10日の東京大空襲により建物は焼失しました。

築地小劇場跡の碑
築地小劇場跡の碑 (碑文は 里見弴 によるもの)

よくある質問

築地小劇場はいつ設立されましたか?
1924年(大正13年)6月13日に設立されました。
なぜ築地小劇場は「実験室」と呼ばれたのですか?
当時の最新の照明設備や舞台装置を備え、翻訳劇の紹介や新しい俳優の育成を通じて、従来の日本の演劇とは異なる新しい演劇の創造を目指したためです。
築地小劇場はどのようにして終焉を迎えましたか?
1940年の劇団員大量検挙による劇団解散を経て、1945年3月10日の東京大空襲で建物が焼失しました。

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新劇土方与志小山内薫新築地劇団新協劇団

参考文献

  • 村井健 著・編『<要点>日本演劇史〜古代から1945年まで〜』新国立劇場情報センター、2012年。
  • 法政大学大原社会問題研究所『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』。
  • 『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』毎日コミュニケーションズ、1994年。