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ツポレフ Tu-144:ソ連の超音速旅客機

ツポレフ Tu-144:ソ連の超音速旅客機
ソ連のツポレフ設計局が開発した超音速旅客機Tu-144の歴史、技術的特徴、運用、そして短命に終わった背景を解説します。

📌 主なポイント

  • 初飛行は1968年12月31日で、コンコルドに先駆けて行われた。
  • 旅客便としての運航は1977年11月から1978年6月までの短期間であった。
  • 総生産数は16機である。
  • 1973年のパリ航空ショーで墜落事故を起こした。

ツポレフ Tu-144(ロシア語: Ту-144)は、ソビエト連邦のツポレフ設計局が開発した超音速旅客機(SST)である。西側のコンコルドと外観が酷似していたことから、しばしば「コンコルドスキー」というあだ名で呼ばれた。NATOコードネームは「チャージャー(Charger)」である。

開発の背景

1960年代、世界的な航空技術の進歩の中で、ソ連は自国の科学技術力を誇示する目的で超音速旅客機の開発に着手した。ツポレフ設計局が主導し、1963年に正式に開発計画が承認された。ソ連は西側のコンコルドに先駆けて初飛行を成功させることを国家的な目標として掲げ、1968年12月31日に原型機の初飛行を達成した。

技術的特徴

Tu-144は、高速飛行のためにデルタ翼を採用した。初期の原型機はオージー翼を備えていたが、量産型のTu-144Sではダブルデルタ翼へと変更され、離着陸性能を向上させるために引き込み式のカナード(先尾翼)が装備された。また、離着陸時の視界確保のため、機首が上下に可動する構造を採用している。エンジンは当初クズネツォフNK-144ターボファンを採用したが、燃費性能に課題を抱えていた。

運用と短命の理由

Tu-144は1975年12月に郵便貨物便として、1977年11月には旅客便としてモスクワ・アルマアタ間で運航を開始した。しかし、燃費の悪さ、機内の騒音や振動、信頼性の低さといった問題が顕著であり、旅客便としての運航はわずか102便で終了した。1978年6月には定期運航が中止され、その後は試験機としての役割に限定された。

事故とその後

1973年のパリ航空ショーにおいて、展示飛行中のTu-144が墜落する重大事故が発生した。また、1978年には試験飛行中の機体で火災が発生し、旅客輸送の継続は困難となった。ソ連崩壊後、一部の機体は博物館で展示されているほか、Tu-144LLとしてロシアとアメリカの共同プロジェクトによる飛行試験に使用された記録がある。

よくある質問

Tu-144が「コンコルドスキー」と呼ばれた理由は?
外観がコンコルドと酷似しており、西側諸国からソ連がコンコルドの設計を模倣したのではないかという疑念を込めて呼ばれたためです。
Tu-144の旅客運航が短期間で終了したのはなぜですか?
燃費の悪さ、信頼性の低さ、機内の快適性の不足など、経済的・技術的な運用上の課題が解決できなかったためです。
Tu-144LLとは何ですか?
ソ連崩壊後にロシアとアメリカの共同プロジェクトとして、Tu-144Dを改造して飛行試験に使用した「飛行実験室(Flying Laboratory)」のことです。

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参考文献

  • CNN. "写真特集:旧ソ連の超音速旅客機「コンコルドスキー」" (2018)
  • TU-144SST. "Monument to Tu-144 is unveiled in Zhukovsky" (2019)
  • 航空ジャーナル. "Tu-144定期運航を開始" (1978)