ユルバン・ルヴェリエ:海王星の予言と天文学・気象学への貢献

📌 主なポイント
- ✓ユルバン・ルヴェリエは1811年3月11日にフランスのマンシュ県サン=ローで生まれた。
- ✓天王星の軌道計算に基づき、未発見であった海王星の位置を1846年に予測した。
- ✓フランスにおいて電報を活用した国際的な気象観測網の設立や世界初の毎日の天気図発行に尽力した。
ユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier, 1811年3月11日 - 1877年9月23日)は、19世紀に活躍したフランスの数学者・天文学者です。天王星の軌道異常から未発見の惑星の位置を数学的に導き出し、海王星の発見に大きく貢献したことで知られています。天文学だけでなく、近代気象観測網の整備や天気図の発行など、気象学の発展にも多大な足跡を残しました。

生涯
1811年にフランス西部マンシュ県のサン=ローで生まれました。エコール・ポリテクニークではゲイ=リュサックの下で化学を学びましたが、その後は天文、特に天体力学へと専門を移しました。生涯の大部分を過ごすこととなるパリ天文台に職を得て、1854年から1870年、および1873年から1877年に没するまでの2度にわたってパリ天文台の台長を務めました。1846年にはアカデミー・デ・シアンス(フランス科学アカデミー)の会員に選出され、翌1847年にはイギリスの王立協会外国人会員にも選ばれています。

天文学における業績
海王星の発見
ルヴェリエの最も著名な業績は、海王星の存在とその位置の予測です。パリ天文台長のフランソワ・アラゴの勧めにより、彼は天王星の軌道運動の観測結果が、ケプラーの法則やニュートン力学から計算される期待値と一致しない矛盾を説明するための計算に取り組みました。イギリスのジョン・クーチ・アダムズも同時期に独立して同様の計算を行っていましたが、互いに研究を知ることはありませんでした。ルヴェリエは1846年8月31日に計算結果をまとめ、同年9月18日にベルリン天文台のヨハン・ゴットフリート・ガレへ手紙で伝えました。手紙を受け取ったガレが9月23日の夜に観測を行ったところ、予測位置から1度以内の場所に新惑星を発見し、その後の観測によって新惑星であることが確認されました。
水星の近日点移動
ルヴェリエはまた、当時原因が不明であった水星の公転軌道の近日点移動についても研究を行いました。彼はこの運動の異常が未発見の小惑星(仮称:バルカン)の重力影響によるものだと主張し、数多くの誤った観測報告を生む原因となりました。この水星の軌道の特異な運動は、のちの1915年にアルベルト・アインシュタインが一般相対性理論によって完全に説明することになります。
気象学への貢献
クリミア戦争の際、黒海で暴風によりフランスなどの艦隊が甚大な被害を受けたことをきっかけに、フランス政府はパリ天文台長であったルヴェリエに対し、嵐の来襲を予測できるか調査を命じました。ルヴェリエはヨーロッパ各地の研究者に気象観測データの提供を求め、電報を利用して嵐の位置や移動速度を迅速に把握できれば接近を事前に警告できると結論付けました。
1855年2月、ルヴェリエは皇帝ナポレオン3世に対し組織的な気象観測と通報計画を提案しました。彼は電報を用いた国際的な気象データの定期的な交換の必要性を説き、即時的な気象観測網の設立に尽力しました。1856年7月からはヨーロッパ約30地点の気象報告の毎日発行を開始し、1863年8月からは等圧線を描いた天気図の発行および暴風警報業務を本格的に開始しました。これにより、フランスは国家事業として毎日天気図を発行する世界初の国となりました。