日本の官僚

牛丸義留:厚生官僚としての経歴と足跡

厚生事務次官を務めた日本の官僚、牛丸義留の経歴、厚生省での役職、および戦後の公職活動について解説します。

📌 主なポイント

  • 1915年10月5日生まれの日本の厚生官僚。
  • 1965年に厚生事務次官に就任した。
  • 厚生省在職中に薬事局長や社会局長を歴任した。
  • 1966年のA級戦犯靖国神社合祀問題に関し、当時の次官として手続きを把握していなかったと証言した。

牛丸 義留(うしまる よしと、1915年10月5日 - )は、日本の厚生官僚。厚生事務次官を務めた人物である。

経歴

佐賀県多久市出身。旧制小城中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1939年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。内務省に入省後、1948年に厚生省へ移籍。厚生省では薬事局長や社会局長といった要職を歴任し、1965年には厚生事務次官に就任した。

退官後は公職への立候補を重ねた。1968年の参議院議員選挙に佐賀県選挙区から無所属で出馬したが落選。その後、年金福祉事業団の理事長を務めたほか、1979年の佐賀県知事選挙にも出馬したが、再び落選した。また、済生会中央病院の事務局長などの職も歴任した。

靖国神社合祀に関する証言

1966年、厚生省援護局がA級戦犯の名簿を靖国神社へ送付し、合祀が行われた問題に関し、当時厚生事務次官であった牛丸は、後にこの手続きについて「知らなかった」と証言している。

著書

  • 『薬事法詳解』(学陽書房、1962年)
  • 『新麻薬取締法解説』(日本公定書協会、1963年)
  • 『老後の生活』(社会保険法規研究会、1966年)

よくある質問

牛丸義留はどのような役職を経験しましたか?
厚生省の薬事局長、社会局長を経て、1965年に厚生事務次官に就任しました。退官後は年金福祉事業団の理事長や済生会中央病院の事務局長などを務めました。
靖国神社へのA級戦犯合祀についてどのような関与がありましたか?
1966年に厚生省援護局が名簿を送付した際、当時の厚生事務次官であった牛丸は、その手続きについて「知らなかった」と証言しています。

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参考文献

  • 『日本官界名鑑 第17版』日本官界情報社、1965年。
  • 『旧制高等学校物語 第17』財界評論社、1968年。
  • 「当時の厚生次官 合祀手続き『知らなかった』」東京新聞、2005年10月31日。