日本文学

和歌の歴史と形式、日本古典文学における展開

和歌の歴史と形式、日本古典文学における展開
日本固有の古典詩である和歌の歴史、形式、修辞技法について詳しく解説。万葉集から中世の勅撰集、近代の変革までを網羅。

📌 主なポイント

  • 和歌は短歌型式の古典詩であり、広義には万葉集に所収される歌体の総称である。
  • 和歌の形式には短歌のほか、長歌、旋頭歌、仏足石歌体などが存在した。
  • 鎌倉時代には後鳥羽院の命により『新古今和歌集』が編纂され、表現技巧が極致に達した。
  • 明治時代初期には正岡子規らが『歌よみに与ふる書』等を通じて万葉調への回帰や写生を提唱し、近代短歌への変革が進められた。

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩であり、広義には『万葉集』に所収される歌体の総称を指す。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」「哥」の字が宛てられることもある。

和歌に関連する古典籍や資料のイメージ
和歌に関連する古典籍や資料

現在一般に和歌といえば、五七五七七の句を連ねて三十一字でつづる短歌形式のことを指す。しかし、古くは短歌のほかにも長歌や旋頭歌といった多様な形式が存在していた。

和歌の主な形式

和歌には時代や用途に応じて複数の形式が存在した。『古今和歌集』の真名序には多様な雑体が記されているが、代表的な形式は以下の通りである。

  • 長歌:五七を3回以上繰り返し、最後を七音で結ぶ形式。主に公の場で詠まれ、反歌を伴うことが多かった。
  • 短歌:五七五七七の三十一字からなり、各時代を通じて最も多く詠まれた形式。
  • 旋頭歌:五七七の片歌を2回繰り返す形式で、問答歌として用いられることが多かった。
  • 仏足石歌体:短歌の形式にさらに七音を加えたもので、奈良時代のみ行われて後に廃絶した。

歴史的展開

鎌倉時代に入ると、政権を奪われた貴族たちは伝統文化を心のより所とし、和歌が非常に盛んに詠まれるようになった。歌合や歌会が多数開催され、和歌に独特の節を付けて詠み上げる「披講」が行われた。披講には綾小路流や冷泉流などの流派が存在し、宮中の歌会始や神社の行事などで現在も見ることができる。後鳥羽院の命で撰進された『新古今和歌集』では芸術至上主義が進み、技巧が極致に達した。

国学の三哲である本居宣長、契沖、賀茂真淵の肖像
国学の三哲 左から 本居宣長 、 契沖 、 賀茂真淵 。

明治時代初期に入ると、江戸時代からの伝統的な文化人たちが担ってきた和歌に対し、落合直文、与謝野鉄幹、佐佐木信綱らが改革を志した。正岡子規は『歌よみに与ふる書』の中で万葉調への回帰と写生による短歌を提唱し、近代短歌へと繋がる新しい歌風が生まれた。

修辞技法

和歌には、言葉の色彩や奥行きを加えるための独特の修辞技法が発達した。代表的なものとして、枕詞、序詞、掛詞、縁語、本歌取り、歌枕などが挙げられる。

よくある質問

和歌とはどのような詩の形式ですか?
和歌とは短歌型式の古典詩であり、狭義では五七五七七の三十一字で構成される短歌を指します。広義には『万葉集』などに収められた多様な歌体の総称としても用いられます。
和歌の主な形式にはどのようなものがありますか?
代表的な形式として、五七の繰り返しで構成される「長歌」、最も一般的な三十一文字の「短歌」、五七七を2回繰り返す「旋頭歌」、短歌に七音を加えた「仏足石歌体」などがあります。
明治時代の和歌にはどのような変化がありましたか?
明治時代初期には、正岡子規や与謝野鉄幹らの改革者によって従来の題詠歌風が批判され、万葉調への回帰や写生を重視した新しい短歌の動きが生まれました。

関連記事

勅撰和歌集歌合歌枕万葉集古今和歌集新古今和歌集

参考文献

渡部泰明『和歌史:なぜ千年を越えて続いたか』KADOKAWA〈角川選書〉、2020年。乾安代ほか『日本古典文学史』暁印書館、2016年。