日本の野球選手
綿貫惣司

綿貫惣司は、日本の元プロ野球選手。1936年から1938年まで東京セネタースで内野手としてプレーし、戦後は社会人野球の監督としても活動した。
📌 主なポイント
- ✓1915年4月6日、埼玉県出身。
- ✓1936年から1938年まで東京セネタースに所属した内野手。
- ✓戦後は社会人野球の豊岡物産や富士製鐵室蘭で監督を務めた。
綿貫惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(内野手)。

経歴
埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)出身。1931年の第8回選抜中等学校野球大会に3番・一塁手として出場したが、チームは初戦で中京商業に敗れた。卒業後は立教大学へ進学し、景浦將と共にクリーンナップを担うなど主力選手として活躍した。
1936年に大学を中退し、プロ野球チームの東京セネタースへ入団。1938年まで同チームでプレーした。その後、応召により現役を離れた。
戦後は社会人野球の豊岡物産で監督兼選手として活動し、都市対抗野球大会にも出場した。1950年から1953年にかけては、富士製鐵室蘭の監督を務めた。
年度別打撃成績
| 年度 | 球団 | 試合 | 打率 |
|---|---|---|---|
| 1936春 | 東京セネタース | 12 | .310 |
| 1936秋 | 東京セネタース | 3 | .000 |
| 1937春 | 東京セネタース | 45 | .188 |
| 1937秋 | 東京セネタース | 22 | .136 |
| 1938春 | 東京セネタース | 35 | .238 |
| 通算 | 3年 | 117 | .207 |
よくある質問
綿貫惣司のプロ野球での主なポジションは?
主に一塁手としてプレーしました。
綿貫惣司が所属したプロ野球チームは?
1936年から1938年まで東京セネタースに所属していました。
戦後の活動はどのようなものですか?
社会人野球の豊岡物産で監督兼選手として活動し、その後1950年から1953年まで富士製鐵室蘭の監督を務めました。
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