歴史

ヴァイマル共和政の歴史と成立・終焉の背景

ヴァイマル共和政の歴史と成立・終焉の背景
第一次世界大戦後のドイツに誕生したヴァイマル共和政の成立、ヴァイマル憲法の制定、そしてナチス・ドイツへ移行するまでの歴史と背景を詳解。

📌 主なポイント

  • 正式な国号は「ドイツ国(Deutsches Reich)」であり、首都はベルリンであった。
  • 1919年8月11日に公布されたヴァイマル憲法に基づいて統治が行われた。
  • 1933年1月のアドルフ・ヒトラー内閣成立と全権委任法の成立により消滅した。

ヴァイマル共和政(ヴァイマルきょうわせい、ドイツ語: Weimarer Republik)は、戦間期のドイツに存在した共和政体の歴史的名称である。政治体制は1919年8月に制定・公布されたヴァイマル憲法に基づいている。

概要

正式な国号は帝政時代から引き続き「ドイツ国(Deutsches Reich)」であり、首都もベルリンに置かれたままであった。「ヴァイマル共和政」という名称は、1919年2月に制憲国民議会がテューリンゲン州の都市ヴァイマルで開催されたことに由来している。

沿革と革命

第一次世界大戦末期の1918年11月、敗戦が濃厚となる中で各地で水兵や労働者による反乱(レーテ)が発生した。同年11月9日、首相マクシミリアン・フォン・バーデンが皇帝ヴィルヘルム2世の退位を独断で宣言し、社会民主党(SPD)党首フリードリヒ・エーベルトに政権を譲渡した。同日午後、フィリップ・シャイデマンによって共和政が宣言され、帝政は終焉を迎えた。

ヴァイマル憲法の制定

1919年1月19日に行われた国民議会選挙を経て、ベルリンの動乱を避けてヴァイマルで制憲議会が開催された。法学者フーゴー・プロイスらの手によって起草された新憲法は、1919年8月11日に公布された。このヴァイマル憲法では、強力な権限を持つ大統領制、連邦制、および当時としては極めて民主的な基本的人権の尊重が規定された。

終焉とナチスへの移行

1929年に始まった世界恐慌の影響により、ドイツ国内では失業者が急増し、政治的・経済的な混乱が深刻化した。大統領緊急令の多用による議会政治の形骸化が進む中、1933年1月30日にアドルフ・ヒトラー内閣が成立し、同年3月の全権委任法を経て、ヴァイマル共和政は崩壊しナチス・ドイツへと移行した。

よくある質問

ヴァイマル共和政の正式な国号は何ですか?
正式な国号は帝政時代と同じ「ドイツ国(Deutsches Reich)」です。
なぜ「ヴァイマル」と呼ばれるのですか?
1919年の制憲国民議会がベルリンの混乱を避けてヴァイマルで開催されたことに由来しています。
ヴァイマル共和政はどのようにして終わりましたか?
世界恐慌による混乱を経て、1933年1月にヒトラー内閣が成立し、同年3月の全権委任法によって事実上の独裁体制へ移行して終焉を迎えました。

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参考文献

林健太郎 『ワイマル共和国』 中公新書、1963年。
成瀬治・山田欣吾・木村靖二 編 『ドイツ史 3』 山川出版社、1997年。