オランダ国王ウィレム3世の生涯と治世

📌 主なポイント
- ✓ウィレム3世は1817年2月17日にブリュッセルで生まれた。
- ✓1849年に父ウィレム2世の死去を受けてオランダ国王に即位した。
- ✓1855年に江戸幕府に対し、軍艦スームビンクを贈呈した。
- ✓ウィレム3世の崩御により、オランダとルクセンブルクの同君連合が解消された。
ウィレム3世(Willem III, 全名:Willem Alexander Paul Frederik Lodewijk van Oranje-Nassau, 1817年2月17日 - 1890年11月23日)は、第3代オランダ国王であり、ルクセンブルク大公(ドイツ語名でヴィルヘルム3世、フランス語名でギヨーム3世)である。ネーデルラント連合王国のブリュッセルで、ウィレム2世とその妃でロシア皇帝パーヴェル1世の娘であるアナ・パウローナの長男として生まれた。

即位と国内統治
父王ウィレム2世の死去に伴い、1849年に王位に即いた。王としての強い権威を示そうと試みたものの、オランダ憲法は前国王の時代に王権を制限する方向で改正されていたため、国民の間では必ずしも高い人気を誇る国王ではなかった。
家族と継承問題
家庭においては、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世と王妃カタリーナ・パウローナの次女ゾフィーを最初の妃として迎え、3人の王子をもうけた。しかし、次男のマウリッツ王子は7歳で夭折した。王妃ゾフィーとは長年の別居生活を経て、1877年6月3日に死別した。その後、1879年1月7日にエンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモントと再婚している。

最初の妃ゾフィーとの間に生まれた長男オラニエ公ウィレム・ニコラスは、放蕩の生活の末に1879年6月26日に39歳で死去した。その後、再婚相手であるエンマとの間に1880年8月31日、王女ウィルヘルミナが誕生した。さらに1884年6月21日には、オラニエ公となっていた三男アレクサンダーも33歳で死去したため、最初の婚姻による3人の王子は全員後嗣を残さずに没することとなった。
崩御と同君連合の解消
1890年11月23日にウィレム3世が崩御した後、オランダ王位は王女ウィルヘルミナが継承し、母であるエンマが摂政を務めた。一方、歴代のオランダ国王が兼ねていたルクセンブルク大公位は、サリカ法典の規定により、エンマの伯父にあたるナッサウ=ヴァイルブルク家のアドルフが継承した。これにより、オランダとルクセンブルクの同君連合はウィレム3世の代を最後に解消されることとなった。
日本との関係
父王ウィレム2世が1844年に江戸幕府へ書簡を送って開国を勧告したのに続き、ウィレム3世の治世においても日本との外交的な繋がりが見られた。1855年には、徳川家定が治める江戸幕府の長崎港へ、6門の砲を備えた蒸気外輪船「スームビンク(Soembing)」を贈呈している。また、不平等条約である日蘭修好通商条約に基づく開市開港の延期を求めるため、江戸幕府が1862年に文久遣欧使節を派遣した際にも歴史的な関わりが生じた。

よくある質問
ウィレム3世はいつオランダ国王に即位しましたか?
オランダとルクセンブルクの同君連合が解消された理由は何ですか?
ウィレム3世と日本との関係にはどのようなものがありますか?
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参考文献
- ロシア皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの四女。よって、ウィレム3世と妃ゾフィーは祖父母を同じくする、いとこ同士。
- 以後、オランダ王室には現国王ウィレム=アレクサンダーが生まれるまで、直系の男子が生まれることはなかった。