ウィリアム・スミス・クラーク:札幌農学校の初代教頭

📌 主なポイント
- ✓1876年に札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭として来日した。
- ✓「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious)」という言葉を残したことで知られる。
- ✓ドイツのゲッティンゲン大学で化学の博士号を取得した教育者である。
ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年7月31日 - 1886年3月9日)は、アメリカ合衆国の教育者、植物学者、動物学者です。日本では、札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭として招かれ、「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious)」という言葉を残した人物として広く知られています。
教育者としての経歴
クラークはマサチューセッツ州アッシュフィールドで生まれ、アマースト大学を卒業後、ドイツのゲッティンゲン大学へ留学して化学の博士号を取得しました。帰国後は母校アマースト大学の教授として、分析化学や植物学、動物学を教えました。その後、マサチューセッツ農科大学(現マサチューセッツ大学アマースト校)の学長を務めるなど、農業教育の推進に尽力しました。
札幌農学校での指導
1876年、日本政府の要請により札幌農学校の教頭として赴任しました。クラークは、マサチューセッツ農科大学のカリキュラムを基盤とした全人的な教育を導入しました。専門的な自然科学の講義だけでなく、学生に聖書を配布するなどキリスト教の精神に基づいた人格教育も行いました。わずか9ヶ月間の滞在でしたが、学生たちに自律的な学習姿勢と高い規律を植え付け、後の北海道の発展を支える人材を育成しました。
「少年よ、大志を抱け」の真意
クラークの別れの言葉として有名な「Boys, be ambitious」は、長年その正確な文言について議論がありました。後の研究により、全文は「Boys, be ambitious like this old man(この老いた私のように、あなたたち若い人も野心的であれ)」であったとされています。この言葉は、単なる野心ではなく、高い理想を持って社会に貢献する人物になることを学生たちに促すものでした。
晩年
帰国後は鉱山事業への投資に失敗し、経済的な苦境に立たされました。晩年は心臓病を患い、1886年に59歳で死去しました。死の間際にも、札幌で過ごした日々を人生で最も輝かしい時期として回想したと伝えられています。
よくある質問
クラーク博士が日本に滞在したのはどのくらいの期間ですか?
「少年よ、大志を抱け」の全文は何ですか?
クラーク博士は日本で何を教えましたか?
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参考文献
- William Smith Clark, Encyclopædia Britannica.
- 赤石恵一「札幌農学校教頭W. S. Clarkの英語教育:自律支援的集団の創造」『英学史研究』49。
- 内村鑑三『後世への最大遺物』東京独立雑誌社、1899年。