世界創造紀元:ビザンティン帝国における紀年法
📌 主なポイント
- ✓世界創造紀元は、天地創造を紀元前5509年として算出する紀年法である。
- ✓算定にはヘブライ語聖書ではなく、ギリシア語の七十人訳聖書が用いられた。
- ✓988年に皇帝バシレイオス2世によって東ローマ帝国で公式に導入された。
- ✓1453年のコンスタンティノープル陥落まで帝国の公式な紀年法として使用された。
- ✓ロシアでは1700年までこの紀年法が使用されていた。
世界創造紀元(せかいそうぞうきげん、ギリシア語: Ἔτη Κόσμου)は、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)で公式に採用されていた紀年法である。英語では「Byzantine calendar」や「Anno Mundi」とも呼ばれる。この紀年法は、天地創造を起点として年数を数えるものであり、988年の皇帝バシレイオス2世による導入から、1453年のコンスタンティノープル陥落まで帝国の公的な文書や歴史記録において使用された。
起源と算定
世界創造紀元の起点は、紀元前5509年(または5508年)に設定されている。この算定は、旧約聖書の『創世記』に基づく記述を逆算したものであり、特に七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)の年代記述が採用された。ヘブライ語聖書に基づく算定とは異なり、七十人訳聖書を用いることで、天地創造からキリスト誕生までの期間がより長く見積もられている。
導入の背景
東ローマ帝国では、当初は古代ローマの伝統に従い、その年の執政官の名を冠して年を呼ぶ「執政官紀年」が用いられていた。しかし、541年に執政官職が実質的な官職から名誉称号へと変化したため、年を特定する手段として、15年周期の会計年度であるインディクティオが併用されるようになった。インディクティオは単独では周期的なため、特定の年を指し示すには不十分であった。そのため、天地創造を起点とする通算年号である世界創造紀元が、正確な年代特定のために導入されるに至った。
暦の構造
世界創造紀元は、実質的にはユリウス暦の構造を継承している。月名はラテン語からギリシア語に翻訳されたものが使用された。1年の開始時期については変遷があり、公式には9月1日とされていたが、歴史家や教会関係者の間では、伝統的に3月25日を新年の始まりとする慣習も根強く残っていた。
歴史的影響
世界創造紀元は、東ローマ帝国の滅亡後も正教会圏において長く使用された。特にロシアでは、ピョートル1世による改革が行われる1700年まで、この紀年法が公的に用いられていた。現在でも、一部の正教会において典礼上の暦としてその影響が残っている。
よくある質問
世界創造紀元はいつまで使われましたか?
なぜ世界創造紀元が導入されたのですか?
世界創造紀元の起点はどのように決められましたか?
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参考文献
- 大槻康弘「第4章 近代的思考の誕生」『ヨーロッパ史 拡大と統合の力学』岩波新書、2003年。
- 七十人訳聖書に基づく年代算定に関する歴史的資料。