日本の廃止市町村
八幡市 (福岡県)

福岡県北東部に存在した八幡市は、官営八幡製鐵所を中心に日本の重工業を牽引した都市です。1963年の北九州市発足に伴い廃止されました。
📌 主なポイント
- ✓1917年に市制を施行し、1963年に北九州市への合併により廃止された。
- ✓官営八幡製鐵所の建設地として選定され、日本の重工業の中心地として発展した。
- ✓旧市域は1974年の行政区再編により、八幡東区と八幡西区に分割された。
八幡市(やはたし)は、かつて福岡県の北東部に存在した市である。官営八幡製鐵所を核とした重工業都市として発展し、北九州工業地帯の中核を担った。1963年2月10日、門司市、小倉市、若松市、戸畑市との新設合併により北九州市が発足したことに伴い、市制を廃止した。

歴史
1889年の町村制施行により、遠賀郡の尾倉村、大蔵村、枝光村が合併して八幡村が発足した。村名は、各村の産土神が八幡神であったことに由来する。1900年に町制を施行し、1917年には市制を施行して八幡市となった。
1901年に官営八幡製鐵所が操業を開始して以来、同市は「鉄の町」として急速な人口増加と工業化を遂げた。太平洋戦争中には軍事拠点として空襲の標的となり、1944年の八幡空襲や1945年の八幡大空襲で甚大な被害を受けた。戦後も製鉄所は日本の経済復興を支え、1949年には昭和天皇の戦後巡幸の視察先の一つとなった。

北九州市への統合
1963年2月10日、周辺の4市と合併して北九州市が誕生した。同年4月1日の政令指定都市移行に伴い、旧八幡市の市域は「八幡区」となった。その後、1974年4月1日の行政区再編により、旧市域は八幡東区と八幡西区に分割されている。
産業
官営八幡製鐵所(後の日本製鐵、新日本製鐵)が地域経済の根幹であった。また、黒崎や折尾地区は商業地として発展し、特に黒崎は北九州市の副都心としての地位を確立した。製造業では安川電機や黒崎窯業(現・黒崎播磨)などが地域を代表する企業として知られた。
よくある質問
八幡市はいつ北九州市と合併しましたか?
1963年2月10日に門司市、小倉市、若松市、戸畑市と合併し、北九州市が発足しました。
現在の八幡東区と八幡西区は、かつての八幡市と関係がありますか?
はい。旧八幡市の市域は、1963年の合併後に八幡区となり、1974年の行政区再編によって八幡東区と八幡西区に分割されました。
京都府の八幡市とは同じ自治体ですか?
いいえ。京都府の八幡市は1977年に発足した市であり、福岡県の八幡市とは別の自治体です。
関連記事
北九州市八幡東区八幡西区官営八幡製鐵所
参考文献
- 北九州市「八幡のあゆみ」
- 北九州市「八幡町から八幡市へ」
- 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年。
- 北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代 行政社会』北九州市、1987年。