山形勲:日本の俳優の経歴と功績

📌 主なポイント
- ✓1915年、イギリス・ロンドン生まれの俳優。
- ✓劇団文化座の結成メンバーの一人。
- ✓映画『地獄門』への出演で国際的な注目を浴びた。
- ✓テレビ時代劇『水戸黄門』の柳沢吉保役などで知られる。
- ✓1988年に勲四等瑞宝章を受章。
山形勲(やまがた いさお、1915年7月25日 - 1996年6月28日)は、日本の俳優。本名は塙 勲(はなわ いさお)。映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活躍し、特に時代劇における悪役や、現代劇での重厚な役柄で知られる名脇役として評価されました。
経歴
軽業師であった父の巡業先であるイギリス・ロンドンで生まれ、東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)で育ちました。1935年に日本俳優学校を卒業後、兵役を経て1936年に東宝劇団に入団。
1942年には、佐佐木隆、鈴木光枝、山村聡らと共に劇団文化座を結成しました。1953年まで同座の看板俳優として活動しましたが、劇団の運営資金を稼ぐためにラジオや映画への出演を重ねた結果、舞台活動との両立が困難となり退団に至ったとされています。
映画・テレビでの活躍
1949年の『斬られの仙太』で映画初出演を果たしました。1953年の映画『地獄門』(衣笠貞之助監督)では、京マチ子の夫役として準主演を務めました。同作はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞するなど高い評価を受け、山形自身も注目を集めました。
その後は東映時代劇を中心に、悪役として数多くの作品に出演しました。テレビ時代劇では『剣客商売』の秋山小兵衛役で主演を務めたほか、『水戸黄門』では第1部から第18部まで柳沢吉保役を演じ、当たり役として親しまれました。現代劇においても、映画『不毛地帯』(1976年)の商事会社社長役など、大学教授や会社重役といった威厳のある役柄を多く演じました。
人物
父の山形巌は、かつてヨーロッパ各地で活動した軽業師であり、帰国後の1920年には麻布市兵衛町に「山形ホテル」を経営していました。山形勲は、このホテルで幼少期を過ごしています。
若い頃に肺結核を患い、手術により一命を取り留めたものの、片方の肺を失うという経験をしています。また、劇団文化座を共に結成した山村聰とは長年のライバル関係にあり、互いに切磋琢磨する存在でした。
1988年に勲四等瑞宝章を受章。1996年6月28日、肺結核のため東京都府中市の病院で死去しました。享年80歳。
よくある質問
山形勲の代表的なテレビドラマの役は何ですか?
山形勲はどのような劇団に所属していましたか?
山形勲の没年はいつですか?
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参考文献
- 新撰 芸能人物事典 明治~平成「山形 勲」の解説 - KOTOBANK
- 「存在感ある名わき役・山形勲さん死去」読売新聞 1996年6月29日夕刊15面
- 川本三郎『荷風と東京-「断腸亭日乗」私註』「十 山形ホテル」