日本政治史

山本権兵衛による第一次内閣の成立と終焉

山本権兵衛による第一次内閣の成立と終焉
1913年から1914年にかけて続いた第一次山本内閣の歴史的背景、主要政策、およびシーメンス事件による総辞職までの経緯を解説します。

📌 主なポイント

  • 第一次山本内閣は1913年2月20日に成立し、1914年4月16日まで続いた。
  • 大正政変後の混乱の中で、立憲政友会を支持基盤として発足した。
  • 軍部大臣現役武官制を改正し、予備役・後備役の武官も大臣に就任可能とした。
  • 海軍の汚職事件であるシーメンス事件への批判と予算案の不成立により総辞職した。

第一次山本内閣は、大正政変を経て1913年(大正2年)2月20日に成立した日本の内閣である。海軍大将・伯爵の山本権兵衛が第16代内閣総理大臣に任命され、1914年(大正3年)4月16日まで政権を担った。

成立の背景

1901年から続いた桂園時代において、藩閥と立憲政友会の連立による安定的な国政運営が行われていた。しかし、第3次桂内閣が立憲同志会の結成を画策したことで藩閥や政友会の反発を招き、大正政変が発生。桂内閣の崩壊後、元老会議を経て薩摩閥の山本権兵衛に大命が降下した。

施政方針を説明する山本権兵衛首相
1913年2月22日、立憲政友会の代議士や院外団に施政方針を説明中の山本権兵衛首相。その右は大岡育造衆議院議長

内閣の構成と性格

山本内閣は、政友会総裁の西園寺公望の推薦により成立した。原敬、松田正久、元田肇ら政友会幹部が入閣したほか、他の閣僚も政友会と親密な関係にあったため、実質的に政友会を基盤とする内閣となった。

主要政策

軍部大臣現役武官制の改正

従来、陸海軍大臣は現役の大将・中将に限られていたが、これは軍部が大臣を辞任させることで内閣を倒す手段として機能していた。山本内閣は政友会の主張を受け、予備役や後備役まで任官の幅を広げる改正を断行し、軍部による内閣人事への介入を牽制した。

終焉とシーメンス事件

1914年1月、海軍の汚職事件であるシーメンス事件が発覚。山本首相の出身母体である海軍が関与していたことから、野党や貴族院による激しい批判を浴びた。予算案の不成立が決定打となり、山本内閣は1914年4月に総辞職した。

よくある質問

第一次山本内閣はいつまで続きましたか?
1913年(大正2年)2月20日から1914年(大正3年)4月16日まで続きました。
なぜ山本内閣は総辞職したのですか?
シーメンス事件による海軍の汚職問題への批判が高まり、予算案が不成立となったことが主な原因です。
軍部大臣現役武官制の改正にはどのような意味がありましたか?
軍部が大臣を辞任させることで内閣を倒すという政治的圧力を防ぎ、軍部による内閣人事への影響力を牽制する目的がありました。

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参考文献

升味準之輔『日本政治史 2 藩閥支配、政党政治』東京大学出版会、1988年。官報(大正2年・3年各号)。