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山城屋和助:明治初期の公金不正融資事件の当事者

山城屋和助:明治初期の公金不正融資事件の当事者
明治初期の陸軍省御用商人、山城屋和助の生涯と、彼が関与した公金不正融資事件(山城屋事件)の経緯を解説します。

📌 主なポイント

  • 明治5年11月29日(1872年12月29日)に陸軍省内で割腹自殺した。
  • 山縣有朋ら長州閥官僚との関係を利用し、陸軍省から多額の公金を不正に融資された。
  • 山城屋事件は、明治初期の政界における汚職事件として知られる。

山城屋和助(やましろや わすけ、天保7年〈1836年〉 - 明治5年11月29日〈1872年12月29日〉)は、明治時代初期の陸軍省御用商人。本名は野村三千三(のむら みちぞう)。元・長州藩奇兵隊士であり、明治初期に発生した大規模な公金不正融資事件である「山城屋事件」の当事者として知られる。

経歴

周防国玖珂郡山代荘本郷村(現在の山口県)に、医師・野村信高右の四男として生まれた。幼少期に両親を亡くし、萩の龍昌院で僧侶として過ごしたが、文久3年(1863年)に還俗。高杉晋作が創設した奇兵隊に入隊し、山縣有朋の部下として戊辰戦争に従軍した。

明治維新後、山城屋和助と改名。長州藩出身の山縣有朋との縁故により、兵部省(後の陸軍省)の御用商人として軍需品納入を請け負うようになった。横浜や東京に店舗を構え、長州閥の官僚との結びつきを背景に事業を拡大した。

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よくある質問

山城屋事件とはどのような事件ですか?
明治5年(1872年)、陸軍省御用商人であった山城屋和助が、山縣有朋ら長州閥官僚の便宜を図り、陸軍省から多額の公金を不正に借り受けていたことが発覚した事件です。
山城屋和助はなぜ自殺したのですか?
フランスでの投機失敗により公金の返済が不可能となり、陸軍省内での面会も拒絶されるなど窮地に追い込まれたため、陸軍省の一室で割腹自殺しました。
山城屋和助の墓所はどこにありますか?
横浜市の久保山墓地と、東京都杉並区の西方寺墓地の2ヶ所に存在します。

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山城屋事件山縣有朋奇兵隊明治維新兵部省

参考文献

伊藤仁太郎『山縣有朋と山城屋事件 隠れたる事実明治裏面史』(大同出版社, 1939)
関壮一郎『政界疑獄史』(日本書院出版部, 1930)
毛利敏彦『明治六年政変』(中公新書, 1979)
渡辺幾治郎『人物近代日本軍事史』(千倉書房, 1937)
古川薫『夢はるかなる: 近代日本の巨人・久原房之助』(PHP研究所, 2009)
宮武外骨編『近世自殺者列伝』(宮武外骨, 1931)
霞信彦『矩を踰えて―明治法制史断章』(慶應義塾大学出版会, 2007)