デザイナー
柳宗理の生涯と工業デザインの足跡

20世紀の日本を代表するインダストリアルデザイナー、柳宗理の生涯、代表作であるバタフライスツール、およびその社会的功績について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1915年、民芸運動の指導者である柳宗悦の長男として東京に生まれた。
- ✓代表作である「バタフライスツール」は1957年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞し、ニューヨーク近代美術館などのパーマネントコレクションに選定された。
- ✓家具や食器などの工業デザインだけでなく、東京オリンピックや札幌冬季オリンピックの聖火関連器具なども手掛けた。
柳 宗理(やなぎ むねみち、1915年6月29日 - 2011年12月25日)は、20世紀に活動した日本のインダストリアルデザイナーである。戦後日本の工業デザインの確立と発展に大きな影響を与えた人物の一人として知られる。

来歴
1915年、東京市原宿に民芸運動の指導者である柳宗悦の長男として生まれる。1935年に東京美術学校洋画科に入学し、バウハウス出身の水谷武彦の講義などを通じてデザインに関心を持つようになった。1940年に同校を卒業後、日本輸出工芸連合会の嘱託となり、シャルロット・ペリアンの日本視察に同行して各地の伝統工芸に触れた。
1942年に坂倉準三建築研究所の研究員となり、その後陸軍の報道班員としてフィリピンへ赴任した。1946年に復員し、工業デザインの研究に着手する。1950年に柳インダストリアルデザイン研究所を開設し、1953年には財団法人柳工業デザイン研究会を設立した。
1955年からは金沢美術工芸大学の教授に就任し、教育者としても活動した。1957年のミラノ・トリエンナーレで代表作となる「バタフライスツール」などが金賞を受賞し、国際的な評価を得た。1977年には日本民藝館館長に就任した。2002年に文化功労者として顕彰された。2011年12月25日、肺炎のため東京都内の病院で96歳で死去した。
主な仕事と作品
工業製品から公共デザイン、建築のディテールに至るまで幅広く手掛けた。
- レコードプレイヤー(1952年、日本コロムビア製作)
- 早く沸くヤカン(1953年、東京ガス)
- スタッキングスツール(エレファントスツール)(1954年、コトブキ製作)
- バタフライスツール(1956年、天童木工製作)
- 白磁土瓶・醤油入れ(1956年、多治見陶磁器試験所製作)
- 東京オリンピック聖火コンテナ・トーチホルダー(1964年)
- 札幌冬季オリンピック聖火台・トーチホルダー(1970年)

また、公共空間のデザインも数多く手掛けている。








よくある質問
柳宗理の代表作は何ですか?
1956年に発表された「バタフライスツール」が最も著名な代表作の一つです。天童木工で製作され、海外の美術館でも収蔵されています。
柳宗理の父親は誰ですか?
民芸運動の指導者であり思想家であった柳宗悦です。
どのような分野のデザインを手掛けましたか?
家具、食器、玩具などの工業製品のほか、道路の橋梁や防音壁、オリンピックの聖火台など公共的なデザインも幅広く手掛けました。
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参考文献
- 『朝日年鑑 第2巻』朝日新聞社、1973年。
- 『柳宗理 - 「美しさ」を暮らしの中で問い続けたデザイナー』河出書房新社、2012年。