日本の城郭
五稜郭:幕末の稜堡式城郭

五稜郭は、江戸時代末期に江戸幕府が箱館(現在の北海道函館市)に築造した日本初の本格的な稜堡式城郭です。箱館戦争の舞台としても知られる国の特別史跡について解説します。
📌 主なポイント
- ✓五稜郭は、1866年に完成した日本初の本格的な稜堡式城郭である。
- ✓設計は武田斐三郎が担当し、フランスの築城システムを参考にしている。
- ✓箱館戦争において、榎本武揚率いる旧幕府軍の拠点となった。
- ✓国の特別史跡に指定されており、現在は五稜郭公園として一般公開されている。
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した、星形の稜堡式城郭です。1866年(慶応2年)に完成し、箱館奉行所の移転先として機能しました。日本における西洋式築城の代表例であり、国の特別史跡に指定されています。
歴史的背景と築造
1854年の箱館開港に伴い、江戸幕府は箱館奉行所を設置しました。当初は函館山の麓にありましたが、外国船からの艦砲射撃に対して脆弱であるという懸念から、武田斐三郎の設計により、より内陸の亀田村に新たな城郭として建設されることとなりました。1857年に着工し、1864年に奉行所が移転、1866年に全工事が完了しました。
箱館戦争
明治維新の混乱期、五稜郭は箱館戦争の舞台となりました。1868年、榎本武揚率いる旧幕府軍が五稜郭を占領し、本拠地としました。翌1869年、新政府軍による総攻撃を受け、最終的に榎本らが降伏して開城しました。この際、五稜郭内での戦闘は回避されました。
公園としての現在
明治時代に入ると、五稜郭内の建物は兵糧庫を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用されました。1914年からは「五稜郭公園」として一般開放され、函館を代表する観光地となりました。郭内には約1,600本のソメイヨシノが植えられており、北海道内有数の花見の名所として親しまれています。2010年には、かつての箱館奉行所庁舎が復元され、当時の姿を今に伝えています。
よくある質問
五稜郭はなぜ星形をしているのですか?
死角をなくし、どこから敵が来ても十字砲火を浴びせることができる稜堡式(星形)という西洋の築城理論に基づいて設計されたためです。
五稜郭は誰が設計しましたか?
箱館奉行所で諸術教授役を務めていた武田斐三郎が設計しました。
五稜郭は現在何に使われていますか?
現在は五稜郭公園として一般開放されており、観光地や市民の憩いの場として利用されています。また、復元された箱館奉行所が見学可能です。
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参考文献
- 函館市史編さん室『函館市史 通説編 第1巻・第2巻』函館市
- 田原良信『五稜郭築造と箱館戦争』
- 五稜郭タワー資料