日本の歴史

幕末・明治期の薩摩藩士:横山安武の生涯と諫死

幕末・明治期の薩摩藩士:横山安武の生涯と諫死
明治新政府の腐敗や征韓論に反対し、集議院門扉に建言書を投函したのちに自決した薩摩藩士・横山安武の生涯や背景を解説します。

📌 主なポイント

  • 横山安武は薩摩藩士であり、陽明学者・森有礼の兄にあたる。
  • 明治3年7月、政府の悪政を批判する時弊10箇条と征韓論反対の建言書を集議院門扉に投函し、自決した。
  • 子の横山壮次郎は札幌農学校を卒業後、台湾や満州で農政や製糖業の振興に尽力した。

横山 安武(よこやま やすたけ、天保14年1月1日〈1843年1月30日〉 - 明治3年7月27日〈1870年8月23日〉)は、日本の武士(薩摩藩士)、陽明学者である。通称は喜三次、元四郎、正太郎。明治新政府の腐敗や悪政を厳しく批判し、28歳で諫死した人物として知られる。政治家・教育者として活躍した森有礼の兄にあたる。

横山安武(正太郎)の想像図
横山安武(正太郎)の想像図。

生涯

天保14年(1843年)、薩摩藩士・森有恕の四男として鹿児島城下の城ヶ谷で誕生した。安政4年(1857年)に藩の儒学者であった横山安容の養子となり、その跡を継いで藩に出仕した。当初は島津久光に小姓として近侍し、明治元年(1868年)には久光の五男である悦之助(島津忠経)の守役を務めた。

明治2年4月(1869年5月)、藩外での遊学を勧める立場から悦之助の学習に同行し、佐賀藩の弘道館や山口藩の明倫館で学んだ。山口藩滞在中の明治3年1月(1870年2月)、同藩の兵制改革に伴う諸隊解散に反対する一部隊士の脱隊騒動が発生し、約1000人の脱退兵士が反乱を起こした。安武はこの騒動を報告するため、独断で悦之助を山口に残して鹿児島へ帰国したため久光の不興を買い、自主的に守役の任を退いた。

その後、同年5月に陽明学を学ぶため上洛し、春日潜庵の門を叩こうとしたが、潜庵が謹慎蟄居中であったため果たせなかった。同年7月に東京府へ赴き、田口文蔵の門人となって陽明学の学問を深めた。

建言と自決

明治3年7月26日の夜、時弊10箇条を挙げた建言書と、征韓論の非を説いた建言書の2通を集議院の門扉に差し入れた後、津藩邸の裏門前で切腹して果てた。発見当時はまだ会話ができる状態であり、鹿児島藩邸に引き取られて介抱や尋問を受けたが、翌27日の昼頃に死去した。

安武が残した遺書は、大迫貞清宛をはじめとする5通に及んだ。その中では、西郷隆盛が藩政に参加したとの報を聞いて安心したという趣旨の文言が添えられており、西郷に対する強い信頼がうかがえる。遺体は芝の大圓寺に葬られた。

思想と背景

安武の自決の背景には、当時盛んだった征韓論に対する強い異議申し立てがあった。国内が疲弊している中で外国への出兵などできるはずがないという現実的な認識に基づいていた。

また、「時弊10箇条」においては、政府高官の慢心によって政策が国家ではなく個人の利益のために行われていると断じ、大局観を欠いた朝令暮改の政策が民衆を苦しめていると批判した。さらに、岩倉具視や徳大寺実則らが功績の有無ではなく愛憎によって判断を下し、廉直な人物を冤罪に陥れていると指摘し、公平な政治を行うよう訴えた。

死後の影響

その死は世間で大きな話題となり、政府は同年8月に島津忠義に対して祭祀料100円を下賜した。また、西郷隆盛は明治5年(1872年)8月に碑文を作成して安武を弔い、墓石の傍らに「精神、日を貫いて華夷に見われ、気節、霜を凌いで天地知る」という詩句を寄せた。

家族

子の横山壮次郎(1868年 - 1909年)は、鹿児島に生まれ、東京で英語等を学んだ後、1885年に札幌農学校に入学した。卒業後は北海道庁の地質調査員、同校助教授を経て台湾総督府の技師となり、新渡戸稲造の補佐として製糖業の振興や農政の実務に尽力した。日露戦争後には奉天で農事試験場や農学校を設立し、満州における農業技術の発展に貢献した。

よくある質問

横山安武はどのような人物ですか?
薩摩藩士であり陽明学者。明治新政府の腐敗政治や征韓論を批判し、28歳で諫死した人物です。
横山安武が自決した理由は何ですか?
国内が疲弊している中での征韓論への反対や、政府高官の慢心・悪政を正すための時弊10箇条を集議院門扉に投じたのち、抗議の意を示して切腹しました。
横山安武と森有礼の関係はどのようなものですか?
横山安武は、初代文部大臣などを務めた森有礼の実兄にあたります。

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参考文献

  • 犬塚孝明「横山安武」『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
  • 三崎一明「高島鞆之助(2)」『追手門経済論集』第43巻第1号、2008年。
  • 粒山樹『維新を創った男 西郷隆盛の実像 明治維新150年に問う』扶桑社、2017年。