地域史・歴史的産業
函館氷:歴史と沿革
北海道函館市で製造された天然氷のブランド「函館氷(五稜郭氷、竜紋氷)」の歴史と中川嘉兵衛による事業展開について解説します。
📌 主なポイント
- ✓函館氷は、北海道函館市の五稜郭の濠などで作られていた天然氷のブランドである。
- ✓1870年に中川嘉兵衛が開拓使から五稜郭の濠の使用権を獲得し、事業を開始した。
- ✓1890年の規則変更に伴い、亀田郡神山村に新たな製氷池が設けられ、「竜紋氷」としても知られた。
函館氷(はこだてこおり)は、北海道函館市においてかつて製造・販売されていた天然氷のブランドである。「五稜郭氷」とも呼ばれた。
歴史と背景
五稜郭の濠へは亀田川から箱館龜田五稜郭御上水を通じて常に水が供給されており、飲料に適していた。1869年(明治2年)、中川嘉兵衛が現地を視察して事業化の有望性を見出した。翌1870年(明治3年)、開拓使より濠1万7000坪の7年間における使用権を獲得した。
1871年(明治4年)、結氷した670トンの切り出しに成功する。イギリスやアメリカなどの外国商船を利用し、横浜を経由して東京・永代橋の開拓使倉庫を貯氷庫とし、京浜市場で販売したのが始まりである。従来のアメリカ・ボストンからの輸入氷(ボストン氷)と比較して、品質および価格面で優れていた。
神山村への製氷池の移転
1890年(明治23年)、五稜郭外壕貸与規則が変更されて競争入札となったことをきっかけに、中川は亀田郡神山村字下川原(現在の函館市神山1丁目14番地)に製氷池を新設した。新設された製氷池は約900坪、4枚で構成されていた。労働者は地元で確保され、農閑期の貴重な収入源となった。1891年(明治24年)の内国勧業博覧会で竜紋の賞牌を受け、「竜紋氷」としても知られるようになった。
事業の継承と終焉
1896年(明治29年)に北原鉦太郎へと事業が譲渡され、その後1940年(昭和15年)頃まで製造が続けられた。
よくある質問
函館氷とは何ですか?
北海道函館市の五稜郭の濠や神山村の製氷池で作られていた天然氷のブランドであり、「五稜郭氷」や「竜紋氷」とも呼ばれました。
誰が函館氷の事業を始めましたか?
中川嘉兵衛が1870年に開拓使から濠の使用権を獲得し、事業を始めました。
製氷池はどこに移転しましたか?
1890年の五稜郭外壕貸与規則の変更を機に、亀田郡神山村字下川原に新しい製氷池が設けられました。
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五稜郭亀田川中川嘉兵衛
参考文献
神山三00年誌 神山三00年祭実行委員会編 昭和60年 p68-70
鈴木晋一 『たべもの噺』 平凡社、1986年、pp.112-113
鈴木晋一 『たべもの噺』 平凡社、1986年、pp.112-113