天然氷の歴史と利用の変遷
📌 主なポイント
- ✓天然氷とは、冬期の自然の寒気によって湖や池などで凍らせた氷である。
- ✓『日本書紀』の仁徳天皇62年(374年)の記述に氷室に関する記録があり、古代から日本の蔵氷制度が存在していた。
- ✓19世紀以降、アメリカや日本(中川嘉兵衛による函館氷など)で天然氷の採取・遠隔地輸送ビジネスが発展した。
- ✓明治時代後半以降、機械製氷の普及により天然氷の生産は衰退したが、現在でも一部の蔵元で伝統的な製法が維持されている。
天然氷とは、冬期の寒冷な気候を利用して、湖や池、専用の池などで自然に凍結させた氷の総称である。機械製氷技術が普及する近代以前には、人類にとって貴重な冷熱源として広く利用されてきた。
前近代における氷の利用
天然の氷雪は、歴史上古くから冷房や食品の保存、飲食に用いられてきた。紀元前にはすでにメソポタミア地方などで貯氷庫が使用されていた記録が残されている。古代ローマでは、アルプス山脈から切り出した氷を氷室に保存し、夏季に削って蜂蜜などをかけて食べる文化が存在した。
日本における蔵氷と氷室の制度
日本においても古くから天然氷の利用が行われており、『日本書紀』仁徳天皇62年(374年)の条には、皇族が猟の最中に氷室を発見したという記述がみられる。当時すでに冬期に氷を切り出して貯蔵し、夏期に利用する「蔵氷・賜氷」の制度が律令体制の中に組み込まれていた。
奈良時代の長屋王邸跡から出土した木簡には、都祁氷室の名称や氷の運搬記録、人夫への賃金支払いなどが記されており、当時の貴族階層の間で氷が利用されていたことが示されている。平安時代の文献である『枕草子』にも「削り氷」が登場し、当時は非常に贅沢な品であったことがうかがえる。
江戸時代に入ると、加賀藩から徳川将軍家への氷の献上などが行われ、旧暦6月1日は「氷の朔日」として祝われた。現在でも一部地域ではこの風習にちなんだ行事が残っている。
近代以降の流通と商業化
19世紀に入ると、天然氷は一般市民にも手の届くものとなり、遠隔地への大規模な輸送・販売ビジネスが発展した。世界的にはアメリカのフレデリック・テューダーが天然氷の輸出事業を大規模に展開し、日本においても中川嘉兵衛が函館の五稜郭で採取した氷を横浜へ輸送・販売して成功を収めた。
明治時代には都市部に氷問屋が次々と開業し、飲食用途のほか、鮮魚の冷却や、蚕の孵化期を調整するための農業用などとしても重要な役割を果たした。しかし、明治20年代をピークとして、19世紀末から20世紀初頭にかけて冷凍機による機械製氷が普及すると、天然氷の生産は急速に衰退していった。
現代の天然氷製造
20世紀初頭以降は機械製氷が主流となったが、現在でも厳冬期の気候と自然環境を活かして伝統的な天然氷の製造を続ける蔵元が日本国内の一部地域に存在している。栃木県日光市や埼玉県長瀞町、長野県軽井沢町、山梨県北杜市などで、職人の手作業による池の管理や氷の切り出しが行われている。
よくある質問
天然氷はいつ頃から利用されていましたか?
日本で天然氷の採取・販売ビジネスを広げた人物は誰ですか?
なぜ天然氷の生産は衰退したのですか?
関連記事
参考文献
- 藤岡惠子、野村祐一. “人と熱の関わりの足跡(その4)-冷たさを届ける: 天然氷の採取と輸送-”. 伝熱(J. HTSJ, Vol. 58, No. 243)日本伝熱学会, pp. 36-41, 2021年.
- 池田律子『イタリアのおいしい旅』阪急コミュニケーションズ, 2003年.
- 『横浜沿革史』有隣堂, 昭和45年.